【新日本プロレス】なぜ新日本本隊は人気がないと言われているのか

新日本プロレスにはいくつかのユニットがありますね。ロスインゴベルナブレスやEMPIRE、TMDK、BULLET CLUBなどです。

新日本プロレスの「本隊(いわゆる正規軍)」が「人気がない」と言われる理由には、いくつかの構造的・演出的な背景があります。ただしこれは一部ファンやネット上の意見であり、絶対的な人気がないというより「他のユニットと比べて地味に見える」というニュアンスが強いです。


✅ 理由1:ユニットのキャラ立ちに埋もれやすい

  • ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(LIJ)
    → ダークで反骨的な美学、内藤哲也のカリスマ性で絶大な人気。
  • バレットクラブ(BC)
    → ヒール寄りで自由な言動、外国人選手が多くエンタメ性が強い。
  • ユナイテッド・エンパイア(UE) 
  • TMDK
    → スタイリッシュな印象、グローバルなファイトスタイル。
  • それに対して本隊は、
    • 「正義」や「友情・努力・勝利」といったベタな正統派
    • 他のユニットと比べて個性が薄く見えやすい


✅ 理由2:ユニット感が薄い(「なんとなく本隊」問題)

  • 本隊には正式な「結成」の物語がない。
  • ユニットTシャツなども少なく、「応援の軸」が分かりにくい。
  • 「無所属=とりあえず本隊」という扱いが多く、結束力が見えにくい。

✅ 理由3:演出や抗争の中心から外れがち

  • LIJやBCはしばしば抗争の「主軸」に立ち、大会メインを飾る。
  • 本隊はそういったストーリーでのインパクトが弱い時期が多かった。
  • ただし、オカダ・カズチカや棚橋弘至のように「本隊の象徴」的な人気レスラーは存在している。


✅ 理由4:ベテラン中心でフレッシュ感に欠けると見られることも

  • 棚橋弘至、田口隆祐、永田裕志など、長年在籍する選手が多く、
    • 若手ユニットに比べて「新鮮味が薄い」と言われがち。
  • ただし最近は海野翔太、上村優也のように、新しい風が入り始めている。

✅ 補足:実は「安定の人気」もある

  • 本隊=人気がないというのは、他のユニットの“爆発的人気”と比べての話。
  • 棚橋は本隊でありながら超人気レスラー。
  • グッズ売上や観客の声援で見ると、「根強いファン層」はいる。

本隊と他ユニット、交差する信念──垣根を超えた新日本の現在地

新日本プロレスにおいて、かつて明確だったユニット同士の「壁」が、近年では少しずつ溶け始めている。その象徴とも言えるのが、本隊の選手たちと他ユニットのレスラーとの関係性の変化だ。

これまで、新日本プロレスは明確なユニット分けとその抗争構造によって、ファンに分かりやすいドラマを提供してきた。正義と悪、対立と裏切り──。その構図の中心にあったのが、「本隊」と呼ばれる正規軍の存在だ。

しかし今、その本隊と他ユニットとの関係性に、柔らかな変化が見え始めている。

たとえば、試合後に敵味方問わず握手を交わす場面や、公式戦での互いの健闘を称え合うコメントが増えている。時には、異なるユニットに所属するレスラー同士がタッグを組み、呼吸の合った試合を見せることも珍しくなくなった。

これは、単なるスポーツマンシップにとどまらない。選手たちがユニットの枠を超えて「プロレスという闘い」に共鳴し、互いの存在をリスペクトし合っている証でもある。

本隊の選手たちは、派手なヒールターンや挑発ではなく、積み重ねたキャリアと信念でリングに立つ。その姿勢に共感する若手レスラーや、他ユニットの実力派が増えているのも興味深い傾向だ。

今や本隊は、「正義の味方」としての役割を超えて、“ニュートラルで懐の深い立場”として、他のユニットとの接点を柔軟に受け止める存在となりつつある。

ユニットの垣根が薄れたからこそ見える新たな可能性。そこには、レスラーたち一人ひとりの個性と信念が際立ち、ファンにとっても“誰を応援してもいい自由”が広がっている。

本隊は、静かに新しい役割を担い始めているのかもしれない。

対立なき時代のプロレス──新日本に漂う「物語の希薄化」

その反面、

新日本プロレスを語るうえで、欠かせない要素の一つが「ユニット同士の対立」だった。

かつては、バレットクラブと本隊、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンとCHAOSといった、明確な敵対構造があり、それぞれの主義や美学をかけた激しい抗争がファンを熱狂させていた。リングの内外で火花を散らし、背後には裏切りや因縁、予期せぬ同盟といったドラマが常に存在していた。

しかし、現在の新日本プロレスでは、そうしたユニット間の鋭い対立が徐々に薄れている

確かに、選手個々の実力は向上し、試合の質も高まっている。レスラー同士のリスペクトや協調も、プロレスの成熟を感じさせる側面ではある。だがその一方で、「物語性」という点においては、かつてほどの熱量や緊張感が感じられないとする声もある。

試合後に敵味方が握手を交わし、インタビューでお互いを称え合う──。その光景が当たり前になりすぎて、かつてのような「こいつだけには負けられない」「裏切りの予感」「この一戦が終われば何かが動く」といったスリリングな空気が希薄になっているのだ。

プロレスは格闘技であり、同時にストーリーテリングである。ユニット同士の明確な対立がなければ、ファンは試合を“競技”として楽しむことはできても、深い“物語”に没入することが難しくなる。

今、新日本のリングには、”何かが起きそうで起きない”もどかしさが漂っている。

もちろん、いつでもバランスが必要だ。対立一辺倒では選手の多様性は表現できないし、協調だけでは火花は散らない。

求められているのは、「信頼と裏切り」「友情と敵意」が交錯するような、メリハリの効いたユニット抗争であり、そこから生まれる予測不能なドラマだ。

リングは闘いの場であり、感情のぶつかり合いこそが観る者の心を掴む。

新日本プロレスが再びその“熱”を取り戻す日は来るのか──今、その物語性の再構築が問われている。